生きていない
だが、死んでもいない
生きているな、という瞬間が虹のように一瞬見えたかの様に感じることが稀にある
それは振り返れば、ドン底に落ちた時だった
わたしはいつも崖っぷちに追いやられて生死を迫られながら生きている
そして、どこかでそれを「そうか」と納得している
自分でも言っている意味が分からないや
キリスト教要素の話だ
肉体と魂は別物だという教えを義務で教わった
だから常に、この身体は自分のものというより借りさせて頂いております
に近い
魂が根本にあると教わった
今でもそれはそんな気がする
こんなことばっか考えるから「人間」としてやりにくく肉体の優先順位を下げるから病むのは、それはそうかと当然の事のよう
そんなことほざいてるが、実際のところは魂ってよく分かんねえので、あえて「精神」という言葉に替えて比喩表現をしている
精神に近いものを感じた時に人とか関係なく、宇宙を感じられる
それがとても不思議な現実味無さすぎる感覚で生きてる意義を少しだけヒントとして見い出せる気になれることが人間として嬉しいのかもなあ…なんて考えている
だから、精神のことばかり考えて肉体とは合体した思考じゃないから
いつも、生きてもいない様で死んでもいないってことを思う日常
これは人間だから思える矛盾と合理なんだろうな
これを言って、それは「解離だよ」って言われても、そうだねと思うだけ
それがなんだよ、って思うだけ
解離でもなんでもいいじゃないか
ドン底に落ちた時、
宙を見上げたら一瞬でも虹が目に映ったら、それでいいじゃないか
生きてる感覚はまるで崖っぷちの時だ、は「ギャンブル」という言葉と結び付くだろうか
わたしはこうやって苦しんで、やっと自分の存在を認められるんだな
…ああ、わたし今生きているんだな…
って。
本当に死ぬまでは分からないことを地球から出たこともないくせに、グルグルと宇宙を頭の中で巡らせているんだ、今日も