色素沈着,淡い色日記

日常の一言二言が溢れ出て収まらなくなったのでブログ化しました

心が貧しい人

心にゆとりが無くて

狭くて貧乏なわたしに今目に入る情報は全て負への比較対象

 

人間、承認欲求が強過ぎると

生理的にプラスなことを受け付けられなくなるらしい

 

憧れの人も

時と場合の心境の変化によって受け取り方が変わる

最初は自分に無くてカッコイイ、羨ましさが

ドン底に近くなってゆくと妬みや嫉妬に変わる

 

ーこの人と自分は運が違うだけなんじゃー

 

とか頭をよぎるようになる

そんなことを無意識に考えてしまう自分にまた自己嫌悪が魔を指す

 

こういう時は、どうすればいいんだろうか

 

 

 

 

 

 

とてもイラついて神経質になっている自分が

とてもとても情けないちっぽけな人間に見えて残念で悲しくなる

 

こういう感情は生きていたら必ずあるんだ

どうやってバネにしていこうか

 

 

 

 

 

人は、わたしはドン底に落ちた時に世界が広く見えて虹色に輝いて透き通る気持ちになる瞬間が多々ある

 

理由は分かっていて悲しい

 

抱えているものを全て諦めて放棄した時に同時に精神も解放されるからだ

 

 

 

 

そういう時は無垢な姿でいれるから

スポンジの様になんでも吸収できて、世界が美しい訳だから憎悪の感情が抹消されている

 

この時の自分は無敵

 

 

 

 

 

そんな時に描く絵や

歌う歌や、観る映画は後になって振り返っても芸術だ

頭も心も真っさらだと躊躇わずに自己表現ができるもんだ

 

アーティストなら分かってくれるところがあるんじゃないかとどこかで思っている

 

 

 

落ち込むは大事だ

濁さないは必要だ

向き合うことだから

 

 

そんな最低な感情も向き合った先に意外なものが待っていたりする

 

世界が残酷で美しいとはこのことか、

とたまに思う

 

 

 

 

 

 

 

 

無意識に自由に生み出した創造物が案外、受け入られることがこの世界にはあって

まだ知らぬ未知への希望に繋がる

 

比較は正直、情報のみのジャガイモから芽が出るようなソラニン

自分を不便にさせる、そして原動力を殺す

生かすには比較対象ではなく、自分次第の心のもち用で、要らない情報は上手く遮断するのも個人の権利

 

なんだかんだ言ってそれが上手くいかないから

自分の時間もお金も精神も比較対象の情報に売られて何かを生み出せていたであろう環境も買い取られてしまうんだな

 

 

 

 

 

 

 

 

手放せなくなるほど、脅威のスマホ依存症のわたしは誰かと比較して今日も残念な気持ちでいる

情けない情けない悲しい

 

口先だけのわたしはもう要らない

心配されるような自分は無くて結構

 

道を踏み外すこと?

結果オーライだ

(メンタルが弱いと比較対象があるだけでこのように頭のネジが飛ぶ為、皆様もリアルと黒い板にはご注意願いたい)