「心の病は気の持ちよう」
という言葉は合っているかも
治るものにはね
けど、自らの意志とは無関係に
勝手に動いてしまう脳の病には
「気の持ちよう」
では解決しない
そこがきっと精神の病の中で
治るものと治らないもので、
目に見える傷ではないから根っこが腐っているかなんて分別するのが難しいんだろうな
だから、双極とか統合とかは結構…認知症と同じ類いだということを周囲に認知されない
躁鬱を繰り返し生きていく身分として
だから自殺率が高い理由が全身で染み渡って分かる
理解者が欲しくても、
医療関係者のように知識や対応を学んでなければ理解しにくいんだと思う
死ぬまで躁と鬱を欠かさず繰り返す
それは自身の意志と逆らって勝手に脳が動いて体に指示する
まるで自分の体が乗っ取られているようだ
避難を受けて耳にするのは自身の体と心
このループの悪循環が嫌だと抵抗すればするほど躁転しやすくなる
自己嫌悪のドン底に落ち時に死を覚悟する前に動くのかも
楽あれば苦あり、という言葉が子供の頃から呪いのように怖かった
繰り返しは無くならないってその時から体は自覚していた
治ればいいなと思う気持ちは強くても
どうしてもそれに抗えないものがあって逆らえない
その苦しみは本人が一番知っている
周りにアドバイスされる言葉の意味も、わたしのためだと分かっている
この病に誰よりも苦しんでいるのは病気を持った本人で鬱に落ちたら人に言われる前に自責しているからどうか、責めたり否定しないでほしいと思う…
心の奥底でこの思いや気持ちを強く伝えたい自分がいることを
「気の持ちよう」
でなんとかなる、と言ってしまいがちな人に分かってほしいと願っている甘えた考えを持った自分がいる