色素沈着,淡い色日記

日常の一言二言が溢れ出て収まらなくなったのでブログ化しました

何のために

進撃の巨人ファンとして最期を見届けた

 

難しい言葉ばっかで伝えたいわたしの気持ちも

進撃の巨人は、

シンプルに生きる意味とかの難問に答えてくれる

 

自分はどちらかと言うと、

ジーク寄りの思考で

「そんな何のためにそこまでしなくてはいけないのか、無意味だろ」

と思っている側の人間だ

 

でも同時にアルミンの

「無意味だとしても…このために生まれてきたんじゃないか」

と思う人として生き物として感じるものに重点を置く本質もある

 

きっとどちらにせよ最適な判断の上で実行したことも本当にその場しのぎで

世の中は同じことを繰り返すし、争いは無くならないだろうな

ずっと繰り返す動作にうんざりするんだけど、

生まれてきてしまった以上、自然の摂理には逆らえないものがあって日々常日頃、その葛藤の中で足掻きもがいて自分なりの正解を出そうと必死なんだ

それが人の生きる目的なのかもしれない

 

繰り返す、無くならない

絶望も希望も

その合間で行ったり来たりするだけだ

 

完璧な世界はない

それでも生まれてきてしまった以上、夢を理想化し描いてしまう

それが生きる原動力

 

進撃の巨人は言葉ではなかなか表現できない、

かなりスケールのデケぇことをテーマにし訴えてくれた

切りのない世の中を描写されている現実と理想の世界、人々の想いと希望

そしてまた絶望

その繰り返しで、結局わたしも最期悟った気になって

「きっと、死ぬ寸前は日常の何でもない笑いあった思い出を目に浮かぶんだろうな」

と想像した

 

そういうもんかあ…

何も誰も凄いわけではない、偉いわけではない

ただ、阿弥陀くじのように引かれて選ばれるだけなんだ

 

この世に正解はない

けど選ばなければならない

どっちを選んでもリスクは付き物だ

 

この世に自由は存在しない

けど生き物の本質として自然の摂理には逆らえない

感情が存在しているからだ

 

だからこそ、平等なのかもしれない

だからこそ、完璧な世界と呼べるのかもしれない

 

そう考えられることも不自由で葛藤してるからこそ言葉があって色んな表現で主張ができるんじゃないか

と思いました

 

悩み考え葛藤することは人間の特権

 

 

 

 

 

 

何のために、と思うことが

後になってじわじわと滲む