名前も分からない誰かが
今日もひっそりと生きている
どこから来たかも知らないあの子が
道端に佇んでいる
今日も僕は目覚めたら窓を開けて空を見上げて息をする
名前すら付いていない今日と言う今、
僕はここに立っている
知りもしない地球の裏側
知りもしない生き物たち
知りもしない心の中が
ざわめき、輝き、震え出す
今日はとっておきの日だ
さあ、素晴らしい朝日と共に今日というページをめくる
今日も知りもしない誰かに出逢えることに心を弾ませ、音楽をかけるんだ
あなたはどこにいますか?
知りもしないあなたのこと
僕は、息を吸って吐いて元気です
不安なことも楽しみもたくさんあるけれど
それすら丸ごと包み込んで、生きてるって素晴らしいとか思っています
いつもそこに佇んでいたあの子がいない
もうそこ道端にはいない
どこに行ってしまったんだろう
今日も知りもしない地球の裏側で
名前も分からない命が、芽吹き、散る
ーつづりー
当時、小学生だったわたしが観た映画
湊かなえ先生の「告白」
当時の頃、もの凄い有名で知らなかった人はいなかったんじゃないかってくらい上げられていたミステリー小説の実写映画
正直、当時のわたしは幼く未成年だった訳だから1度観た時は怖くてどういう意味か考えることもできないくらい命についてよく分かってなかった
成人して2度観した今の自分には、色々と心の中と頭を掻き乱されてある意味恐いくらいに、命の尊さを考えさせられた
そしてメインキャスト役にとても同情と共感をした
幻想的かつ現実味ある描写が未成年の心境を繊細に映していて、撮り方に吸い込まれた
今日、わたしは家の帰り道に猫のテリトリーの中に入れさせてもらった
以前、弱っていて今にでも死にそうな猫を保護した
その子は元気になって窓から出ていってしまったが、今日の帰り道のテリトリーによくいてはよく見かける
今年も梅雨気に入って野良猫たちにとっては生き延びるかどうかの厳しい時期
今日、そこに寄った時に保護した子は見当たらなかったけど他の野良子たちが数匹いた
前より痩せていて尻尾もみんな下がったまま、毛並みもお顔も元気とは言い難かった
餌をあげていた人が前、いたのに最近はもらってないのかな?警察の人か住民にあげるなって注意されたのかな?この子たちどうなっちゃうの?でも、わたしが餌をあげればいいって事でもない、責任は取れない
わたしのせいでこの子たちが悲しいことになるのは嫌だ、わたしには何もしてあげることができない、本当に本当に気持ちだけが大きくて現実的に何もしてあげられない、命の尊さを分かってなんかいないだから…
でも、この世界の裏側で運悪く今も死ぬ人や生き物がいる、わたしのせいとか誰かのせいとかそんなのは何もなくて…飼っている家猫と野良猫のように選ばれたか選ばれなかったかというただの運の違い
これを無力な自分が何とかしようとするのは高慢な思考なんじゃないか、この世は人間が運良く「人権」と言う名を持って生まれて生きているだけ人間に優位な社会を作られた以上、わたしが他の生き物にこんな感情を抱くのは極めて見下しているということ
わたしだってあなただっていつどうなるか分からないお人好しの格好をした寂しい命
ーだから本当に命の尊さなど分かっちゃいないんだー
と、車の中で考えていた
本当に考えてもどうすることもできないことを考えていた
「告白」を観て思ったこと
トゥルーエンドに真実は感じる以外に存在しないということ
告白をしたら、人に好かれる或いは嫌われる
わたしはどちらにも該当されないようにと思ってしまう弱者だ
だから、もう一度強く念じた
生きていれるなら精一杯に生きようと