この頃、昼夜逆転ばかりで好きな韓ドラをなかなか見る余裕と時間がない
夕方前に起床して身近な生活を整えたら夜になって同居人が帰ってきたらアニメとかドキュメンタリー三昧
別に面白いから特に気にならない
深夜になって1人の時間ができたらSFかサスペンスに釘付け
でも今まで、自分にあったものが無くなった感じが寂しくてそれがなんだったっけ、とぼーっと暮らしてた
今日は珍しく日差しのいい午前中に起きれた
窓を開けると風が気持ちよくて
自然と2年前に途中で見るのやめた韓ドラを思い出した
時間的にも今日見るには最適だと思えて
なんとなくどこからだっけ、と思い出し探りながら見ていた
実家にいたときは目覚めたら韓国の音楽を聴きながら起床し、1階に降りたらTVからは韓国の番組が切りなく映され流れてた
両親と交わす会話も日本語と韓国語を交じり交じりの言語のままグダグダで意思疎通していた
今思い出すと、あれは周りから見たら面白い見物だなと想像できる
そんな日々が当たり前だったから、韓国ドラマを見なくなって今の生活に何かが欠けていたらしい
だから久しぶりに画面越しで国境を超えて感じられるものがあって感動している今ー
ー今までのは前置きだー
韓ドラあるあるで
ヒロインが危機一髪のところで救世主かのように美男子イケメンに助けられるシーンがある
あれは韓ドラあるあるの設定話で全世界で有名だ
少女漫画の実写版だろうな
それを見続けてしまうのは多少の憧れと、半面白いのと、ちゃっかり涙ぐむくらい感動するからなんだよな
見終わった後で理性が戻ると、
よく出来てるなあ〜、続き気になるなあ〜
なんていう感想が出てくる
今日見た韓ドラもそんなシーンのところだった
でも、わたしは2年ぶりの続きの韓ドラだったけどいつもと違う意味で感動した
わたしは2年前に自分の人生もうこれで終わりなのかもしれない
と自覚した時期があった
精神科病棟に強制入院させられた時にそう感じた
躁状態だったその頃の自分は、親に病院に連れていかれて車の中でスマホ片手に当時の彼氏に助けを叫んだ
病院に着いたのか何故か裏の倉庫のようなところに連れて行かれ私服姿の看護師が15人程いて、白衣を着てるそれらしい、じいさんが入院当時の主治医だった
彼氏には電話で助けてを切実に連呼したが、その時のその場がどういう状況なのか上手く説明できなかった
強制的にスマホや持っている物全てを没収されてわたしは自由を失った
そのまんま、わたしは無理矢理ベッドか台か分からん所に上向きに乗せられて、下を脱がされオムツ状態になったまま逃げられないように拘束された
勿論の如く暴れようとしてたから腕に筋肉注射を打たれながらPICU室に閉じ込められた
今までかかっていた病院からもらっていた薬も、パーになって実験代のように薬をアレコレと変えられ、わたしは1週間PICUのところでゾンビ化した
副作用で手足はガクガクと震えるし、眼球は釣るしでまともに前を向けなければ瞼を閉じれない状態だったせいで眠ることも苦難だった
1週間程毎日、腕に筋肉注射を打って副作用を止めてもらってやっと眠れるような入院生活を送ってた
それから、PICU室からは解放されて他病棟に移動になった
(長いので省略)
とにかくその病院は有名だったが脱走する患者はそん時だけでも指数えるくらい多かった
当時は丁度、コロナ禍がメインの時期だったから外出も外泊も許されなかったけど、患者たちはありとあらゆる手段で必死に練った作戦で脱走しようとして、それが案外と成功した者がいた訳だ
わたしもその作戦で脱走する気満々だった
病棟での味方は医師、看護師、親含めて誰一人わたしの味方になってくれる人はいなかった
だからよく、病院内のベンチのところを患者同士が集まって病院の愚痴を吐き場にしていた
あの頃はそれが唯一自由への解放の時間だった
入院してから症状的に落ち着いてきて人間らしくなってくると2回程、彼氏との電話をしていいという許可が主治医から下った
だとしても病棟用の受話器からだった為、周りに看護師も主治医もいる訳だからわたしは「うん、そっか、分かった」とかしか返事をするしかできなかった
受話器越しで彼氏はわたしがここから脱出できるように、ここの前にわたしのかかりつけ医がいる病院の主治医と連絡を取り合ってくれているということを伝えてくれた
それでそちらの病院のわたしの信頼してる主治医と、こちらの主治医もどきの医者様同士でなんとかかんとかして、かかりつけ医がいる方へと転院できる様にとやり取りをしてくれていたらしい
なのに、当時の主治医もどきのおじいはそれを拒みやがった
今でもそのおじいには感謝どころか恨みしかない
そして彼氏も当時は色んな意味でパニックになっていたらしいことを後に知ったー
それから1ヶ月後、病棟にわたし宛の手紙が届いた
彼氏からだった
短い内容の文章だった
裏には飼っていたペットの似顔絵を下手なりに描かれてあった
「待っているね」
の文字がまるで、闇からわたしを引き上げてくれている救世主の言葉の様でわたしは手紙を何度も読み返して、現実を確かめ合いながら嬉しくて辛くて、2時間泣きわめいた
ここ(病棟)では誰もわたしなんかを相手にするはずなく、心の訴えも通じることもない
患者が間違いを犯してなかったとしても出来事が勃発すると上の者の権利で患者の中の誰かのせいになって、何故かよく分からないシステムで罰としてPICU行きにされていた
エゴ巣窟のその病院は看護師や主治医の言葉の権利が全ての世界だった
だから賢明な患者は大人しく所謂、いい子でいていたし反発や抵抗をしたらいけない暗黙の世界が存在していた
そこにいたわたしは地獄をこの目で見ていい子を振る舞い続けるのに必死だったが、やはりまるで牢獄で家畜のように扱われていた屈辱は忘れられない
その体感はそこに入れられた者しか知らないはず
そんな時に彼氏からの手紙は唯一の救いであり支えだった
ーこんなわたしをずっと待っていてくれていたーという事実が死ななくて良かった思える程、当時のわたしは嬉しかったし生きる支えだった
オーバーリアクションかもしれないけど、当時は本当にこんな所にいるくらいなら、まだホームレスのがマシだと思うくらいだったのだ
それが今日見た韓ドラに結びついたのかな
この話が韓ドラのそれに辿り着くのにえげつない旅路を辿ったわ…
だから、今日はなんだかその頃の記憶を思い出して違う意味で感動したよ
ー時を戻そうー
結果、なんだかんだ2ヶ月ほどその病院にいたが
それからと言うものは病棟内では大人しくして点数稼ぎをして任意入院にまで至った
彼氏の誕生日が間近になっていたのもあり、これは脱出できる作戦と計画を立て彼氏の誕生日なので!と無理に説得し、絶対外泊後は帰ってきますと大嘘を吐露し無事に家に帰る(脱出)ことができたのであった
それからというもの当時、転院させてくれようと助けてくれた、かかりつけ医が今でもわたしの主治医でお世話になっている
たまに面談中、2年前のその事件の話が出たら、
「二度と行くもんか!次関わってきたら何してやろうかと、とんでもない犯罪的な思考で頭を巡らせています」と言っては、
「それはやめておきない」と冗談混じりのただの雑談をしてたりする
だがそれくらい呪うほど現に憎んでいるのは事実だから、
躁状態の人を無理矢理どうこうしようとするのは本当に危険だと自分自身も思うし、周りの人にも知っていてほしいところだ
本当に何をしでかすのか分からないので…
ー話の路線がズレたのでまた時を戻そうー
呪いの病院にいたときに届いた彼氏からの手紙はわたしにとって韓ドラの絶望から救いに来てくれたあの感覚だった
それを2年ぶりに、その韓ドラの続きを見て思い出し鼻がツーンとなって涙ぐんだ
今のパートナーがその彼氏で
現にもわたしのただの彼氏だ
だけど唯一のわたしの保護者であり理解者
でも、もう周りに迷惑はかけたくないな
いいことより良くない事の方が勝る
静かに穏やかに暮らせたらいいな、
入院行きはできるだけ避けたい
そう思っていてもなってしまう病気は本当に困難なのだけれども…
今日も訪問看護師さんがお家に来る
まだ、自ら治療も何でも選べるのが自由なんだろうな
わたしは常に自由への訴えと理想があって
韓ドラなどを見て心を潤してるんだろうな、
きっと。
そんな過去の思い出話だ
韓ドラのシーンを重ね、自ら演出を過去に体験したというお話。