息を殺して誰かと暮らすことで
自分を無にして争い事が起きないのなら
そうできたらいいなと思う
だって、幼い頃からそんな光景ばかり目にして
とても見苦しかったから
そんな大人になりたくないが子供時代の夢だった
それを叶えられずキレイに生きていけないから苦しい
だって、生きてるから
猫はきっと調和が上手な生き物なんだろうな
存在感薄いのに、猫のいない生活なんて考えられないよ
世渡り上手な生き物って勝手に名付けられたら
猫的にはどう思うんだろう
本当は猫も人間と暮らすにあたってわたしたちが知らないとこで
色々、苦労されてるのかな
だとしたら尊敬します
人間程、欲とプライドの管理が不器用な生き物はいないんじゃないか
とか考えてもしょうがない
愛が欲しいとかで
欲やプライドに繋げて変換したがる
そこにある愛に気付かないだけなのかもしれないのに
誰かと生きる
って難しいな
妥協とか折れることも一つの愛情表現なら
わたしは自分自身を上手く愛せてないからできないんだ、と言い訳をしてる
息を殺して誰かといれるのも
きっと最初のうちでそんなキレイゴトのようにはいかないものだよね
思い通りにならないのが人生なのに
思い通りにいかないと全て嫌になるのは自己愛が強すぎるから
それだけのシンプルなことなのにね
わたしはまだ子供のように泣いてたいし
ワガママ言ってたい
心を聞いて欲しくてただただ
「そっか、そっか」
と頭撫でられたいだけなんだ、生暖かく
子供が子供を生み育てることは
上手く機能しない母性によって
また負の連鎖を繋げてしまうのかも
そんな先々のことまで考えて恐くなるよ
まず、誰かと共存できるようになりたい
依存ではなく
支え合える関係
それを築き上げたい
なかなか上手くいかない
共に息をして互いの存在を認め合うことは
年月と共にスープを煮込むように
難しいね
藤原さくらさんの
Soup
聴いて遅めの朝ごはん食べよう