色んな人がいて
色んな生き方があって
色んな言語と文化と男女の違い、
たくさんの価値観と信念と思考
肯定も
否定も
幸福も
不幸も
全てを含めてを多様性と言うのなら
とんでもないな、と思いながら
毎年、歳を重ねて行くたびにその意味が少しづつ分かってきてるような実感
成人して大人扱いをされるようになるにつれ、
人生の先輩を尊敬するようになるのは自然現象
それはそうだと無自覚であろうと否定できない
だからと言って大人の価値観、世界観の見えてる視界が全て正しいか?と言われたら
それもきっとそうではないだろう、というある一面の多様性も有り。
子供だからこそ可能である
素直に敏感に純粋で透き通った瞳
ここで考えるともう、哲学
多様性をグルグル考えて辿り着くところはロールケーキのように玉ねぎのように無限大
そうそう、このことも別に今伝えたく打ってる訳じゃなかったのにいつの間にか...
時を戻そう。
多様性あってこその人と人の関係性
そこで考える誠実心
グレーゾーン無しの白黒は自分もしくは本人の中にあるだけでいい
それを相手に押し付けるのは違う
綺麗事の言葉や裏がないものが最も生活を脅かされる不審だ
まだ、今までわたしに厳しいことを言ってくれた人や、お互いに感情をぶつけ合って喧嘩した人の方がある種の多様性かも
不快な思いをするのは生きてて避けられる訳がない
まだきちんと言葉できついことでも伝えてくれた人こそ、わたしのために言ってくれた真心かもしれない
思い返すとー
今の自分があるのはその人のおかげでもあるからと思える、感謝だ
そのような人と一時期でも巡り会えたことも
多様性として受け入れたら感謝です
綺麗事のように洗脳的なものは
この世に存在しない
存在しているのならそれはよくメディアで言うそのような組織にすぎない
わたしの考える多様性とは不公平かつ混沌なこの世の中全般のことで
自ら変えようとして変わることはなかなか難しいことなのだろうという考えに至るます
これに答えは無いな🤔
なにせ、多様性ですから