今日、古本屋さんに前買おうと思って書いそびれた本を探しに入った
ズラーって並べられてたるノベルの棚や、100円棚の小説を一通り目を通して探してたが、結局閉店間近になって探し出せなかった
後で知ったがそもそも売り切れてたみたいだった
目に入った、自分の心と反映して重なりそうなタイトルの本を数冊手に取って、
本日は予想外の小説を手に持って帰った
小説はあまり読まない派だけどストーリーを想像しながら脳を鍛えるには丁度いいと思ったわ
さて、浸れるだろうか、
飛び込めるだろうかは否か。
何度も映画をこの目で見た知っている作品をまずは読む心の準備を定め、
どうせ文章を書いて名を残したいならば書き方の形を身に付けるのは前提だからと、自分に言い聞かせて小説版を読んでみることにした
文字ではどんな表現をするのか、知りたい好奇心は自分にとってはチャンス
こういう心構えって大事だと思う
先週の通院で主治医の先生とお話したこと
「躁状態は結果であって、必ずそうなるきっきけがあるよね。
過程が重要なのであってその過程を病気のせいだとかで否定されたらたまったもんじゃない。
そういう目線でそんな風に思われて接されちゃうから余計、躁が暴走して悪化するってだけの話なんだけどなあ」
主治医の先生とお互いに意気投合した有意義な共感トークだった
やりたいことはやるよ
なんて言われようとやるよ
心配はある意味、回りくどく相手の考えや思い、そして存在を「それは良くない、しちゃいけないことだから止めて」って言っているようなことだと思ってる
そんな風に思われるのは仕方ないけど、されたり言われたりしたら自分の存在自体を否定される気持ちになって余計、良くない方へと暴走しちゃう
だから、この躁は結果最悪なケースになることだけ避けて活かしていきたい自己流の考え方だ
失敗は勿論、挫折もいつものことだけど
やらないよりはこの時間と体力を有意義に使いたいな
これで何かを生む