色素沈着,淡い色日記

日常の一言二言が溢れ出て収まらなくなったのでブログ化しました

沢山の嘘をありがとう

世の中で溢れ返っている

タテマエだとか偽善だとか

相手を傷付けないための優しい嘘とか

そんなんばっかで

 

わたしはその嘘に優しく包まれて生きてこれた気がする

その生温い暖かさに甘えて自分を正当化してた

そういうものに自分は生きてる実感や勇気や自信や喜びさえも得れたんだ 

 

それでもメディアや政治やなんたらかんたら…の

重いテーマには皆、正義や誠実や真実を求めてる

 

多分、この社会が偽善で成り立って

人々が分かち合える環境なら、もう本当の真実なんて求めても求められないんじゃないか…

 

そう思う

 

全て何にでもレッテルを貼ることで

大体の人は安心するよね

 

障害者とか

被害者とか

加害者とか

犠牲者とか

パワハラ

セクハラ

モラハラ

虐待

カルト

ヤクザ

 

 

数え切れない程、山のように

沢山あるけど

 

これはただの世の中の秩序を守るためのレッテル

であって正義だとか、それを守るものではない

そんな風に思えるのはわたしぐらいだろうか?

 

そんな時、嘘がひとつあれば

その安心感で真の現実とは向き合わなくともいいよね

 

まるで死ぬって分かってて

夜の街灯に集まる虫たちのようにさ

本当にいいことじゃないって分かりながらも

生きるための土台や安心感のために

やってる偽善 

 

 

 

 

もう、ここまできたら

ルールも法則も社会の法律も意味があるのかな

 

こんなことを考えている人間がまず

ひとりいるってことで

きっと世の中を守るためには多少の犠牲と

沢山の嘘がないと生きるの難しい

 

 

 

ーああ、やっぱー…

偽るのって楽だな

みんな仮面被って踊ろうよ

踊ってるその時だけは楽しいんだから

 

 

これがわたしの病み期だ