色素沈着,淡い色日記

日常の一言二言が溢れ出て収まらなくなったのでブログ化しました

受容体制国

多数決で数を勝るとどんなことも受け入れなければならない現代社

 

正直、最近なんでも受け入れる必要は本当はないんじゃ

と思うようになった

受容体制に疑問というか

 

わたしも自分の存在は受け入れてほしい人間だ

病気も含めて受け入れてと思っていたが

それを度を越すと強制になり争いになる

 

極端な話、望んでいる人たちだけでやればいい

宗教だって今、特に日本で受容がないのはそういうことだ

申し訳ないけど、わたしは日本という国が一つの宗教だと思ってる

 

強制参加に意味を見い出せない

学校の運動会も授業参観も文化祭も

なんか全部国作りにしか思えない風景だ

そういうイベント行事を楽しいと思えなかった自分がおかしいのかと子供の頃は思っていたが

普通に社会の成立ちに疑問を抱いていた

 

運動が苦手なわたしは運動会なんて無くなればいいと毎年嘆いていた

 

位を付けたがる風習が嫌だったのは、それは努力で報われるものではないから

結果主義の社会にうんざりするけど、数字で世の中見た方が確かに受け入れ易いよな

それが本人の意志より先に見世物と化するから白目むいてしまう

 

この違和感に誰も気付かないのだろうか

それとも気付いても知らないフリをしているのか

だとしたら、完全に国民を黙らせる催眠と洗脳で宗教化してる

 

去るもの追わず来る者拒まず

の文化は何処へ

 

こんな思考の自分はここで暮らすのにこんなことで壁にぶつかって苦悩する

もういっそ、ここから逃げ出そうかなんて思う

その思いもきっと今の内だけだろう

少なからずわたしも洗脳されてしまっているから